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旅立ち

小林 陽子

今日の心の糧イメージ

とうとう母を見送るときがきたのだと、そればかり考えて日を過ごしています。なぜか怖い。このトシになってもよほど母親離れができていないのね、と自分に呟いています。

人に言うと、まずびっくりされて、「まあ、お母さまがまだご健在でしたか。おいくつになられました?」

「先月で100才になりました」

すると、まあすばらしい、おめでたいですねーとニコニコ顔。

平均寿命をとうに越えて、ひと月前、お風呂で転倒、骨折するまでは身の回りのことすべて自力でこなし(というよりは人の手を借りることを嫌がり)、もの忘れはひどくなったものの認知症とまではいかず、あい変わらず向こうっ気が強く言いたい放題、曲がったことやウソは大嫌い、人の思惑など無視して喋るので、こちらは傷つくことも多かった・・・そんな母です。

 

大正うまれの近代合理主義者、その母が10年ほど前、テレビと一緒に転倒して肋骨7本折った際に、緊急洗礼を受けました。

天国行きの切符を手にした母は天国ドロボー?

いまやベッドでうつらうつらと夢のなかにたゆたう母は、地上でのいのちを神さまにお返しする時を待つばかり・・とても静かです。

主キリストの過ぎ越の神秘によってわたし達は神の子とされ、永遠のいのちに導かれると信じていても、やはり地上での別れはつらく、心を引き裂かれます。

そんな弱いわたしを神さまはゆるしてくださる・・・かなしみのなかでしかわからない、愛。かなしみは愛の湧き出る泉。

そうして思います。

突然の、思いもかけない災害で、あるいは不慮の事故で、心の準備をするいとまも、否も応もなく奪いとられた愛する人達のいのちを。

人生最後の旅立ちに寄り添うことは、最高の学びであり祈りでもあるのですね。