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友好

遠山 満 神父

今日の心の糧イメージ

私達は、友人を求める時、どんな資質を求めるでしょうか。誰もが求める第一の資質は、苦しみの時、見捨てない人だと思います。聖書のシラ書には、友について次のような事が書かれています。

「幸福な時には、真の友を見分けられない」。(12・8)裏を返せば、試練の時、苦しみの時、真の友に巡り会えると言うことになります。また、友について次のようにも書かれています。「誠実な友は堅固な避難所。その友を見出せば、宝を見つけたも同然だ。誠実な友は、何物にも代え難く、その素晴らしい値打ちは計り難い」。(6・14~15)

真の友を見出すことは、私たちの生涯において差し迫った重要な課題です。何故なら、真の友を見出すことができないなら、ある意味、健全な形での友好関係を他人と築けないからです。「この人もいつか自分を裏切るのではないか」と疑心暗鬼しつつ他人と関わっても、本当の友情は、そこに育ちえないからです。

多くの人が、自分を見捨てない存在として人生の初めの段階で見出す相手は、両親、あるいは、両親のように関わってくれる人達です。しかし両親も、両親に代わる人達も、私達の人生のあらゆる段階で私達に同伴できる訳ではありません。大抵の場合、私達より先に天に召されます。

それでは、私達は、どこに真の友を、私達を見捨てることなく、生涯に亘って同伴してくれる友を見出せばよいのでしょうか。

聖書のイザヤ書の中に、次のように書かれています。「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも私があなたを忘れることは決してない」。(49・15)この方、主なる神は、私達にとって、友以上の存在、また親以上の存在です。