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老いるにも意味が・・・

小林 陽子

今日の心の糧イメージ

老いるにも意味が・・あるにちがいありません。

あらためて、こう正面切って「老いることの意味とは?」と考えることはありませんでした。たぶん、逃げていたのでしょうね。

だいたい、70代の前半を切ろうとしているのに自分を老人だと思っていない!ということに気づきました。あわてて図書館に走りました。

あることあること、「老い」に関する本がずらりと並んでいます。

65歳以上の高齢者が全人口の25パーセントを占めるとのこと、いかに「老い」を生きるかは、さし迫った大きな課題です。

若者文化が巾をきかせている日本、とかく「老い」は福祉行政などにくくられてしまいがち。

でも、もともと「老」は、尊敬語なのだそうです。老成、老熟、老大家など。否定的な老醜、老獪などは後で造られた言葉なのです。

ですから、透徹した人生観、枯淡の心境、敬虔さを身に帯びた、真の「老人」になれるのは選ばれた人、のみなのです。

となると、違った意味で私など、「老人」というのは、まだまだおこがましい。

枯淡の境地とは、ただ枯れてゆくのではなく、物欲や名誉欲、野心などあらゆる欲望から解放された自由人、ということですし、敬虔さとは、超越者ー神の前に額ずくことの出来る人、ということでしょう。

また老熟とは、あらゆる状況に対して耐性ができてゆくこと。つまりどんなことがあっても、竹がしなうように柔軟に対処できる。

孔子の言う「いくら自分のしたいようにしても規範を越えることがない」ということですね。

やりたいことをやって、のびのびと、自由自在に天を仰ぎ地を眺め・・そんな老いの境地に憧れます。

それがかなえられる世界でありますように・・・。