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人生を変えた言葉

高見 三明 大司教

今日の心の糧イメージ

わたしが中学2年生の秋のこと、父が長崎のある修道会の司祭を家に連れてきて、わたしにいきなり、「来年はこの修道会に入りなさい」と言いました。実はわたしは小学5年生の頃、神父になりたいという気持ちを父親に話していたのです。わたし自身はそのことは忘れていたのですが、父は忘れていなかったわけです。

ところで、当時わたしの教会の主任司祭は、スペイン人で、別の修道会の方でした。父親が「息子を某修道会に送りたい」と話したところ、その神父様は「あなたの息子は公教神学校へやりなさい」と言ったそうです。「公教神学校」というのは、修道会ではなく、いわば司教直属の教会で働く司祭の志願者初期養成所でした。結局そこに、中学3年生から編入することになりました。主任司祭の一言が今のわたしの人生を決める大きな分岐点となりました。

神学校に入って数年後、休暇のため帰省していたときのことでした。主任司祭と同じ修道会の司祭がミサに来られました。ミサが終わって、香部屋という控えの部屋に戻ったとき、裸電球のスイッチを入れました。するとその神父様がわたしに「あなたはいい司祭になるでしょう」と言いました。もちろん「いい司祭」になることはできませんでしたが、その言葉は何か預言めいていました。

司祭まであと数年という頃、司祭志願者、すなわち、神学生を養成する大神学校で働かないかと上長から声をかけられました。わたしは「才能もないし、とても考えられません」などと返事をしたところ、「才能はなくても、司祭養成のために奉仕したいという気持ちがあればいい」と言われました。結局、そこで30年間奉仕した結果、今があります。

神さまは、ほかの人の声を通してもわたしたちの人生をみちびかれるようです。