第106課 聖体の制定(マタイ 26・26~29、マルコ 14・22~25)

 イエズス様は、弟子たちの足をお洗いになったあと、弟子たちにパンをお渡しになって「取って食べなさい。これはわたしの体である」とおっしゃり、また、ぶどう酒が入っている杯をお取りになって、「皆、この杯から飲みなさい。これはわたしの血である」と彼らにおっしゃいました。

 1年以上前にガリラヤのカファルナウムの会堂で、イエズス様はご自分の御体と御血を霊的な糧として弟子たちにお与えになることを約束なさいましたが、最後の晩さんの時にその約束を実現なさいました。つまりイエズス様がパンとぶどう酒を弟子たちに渡されて、「これはわたしの体である」「これはわたしの血である」とおっしゃった時、そのパンとぶどう酒の外観のもとにご自分の御体と御血が実際に存在するようになり、弟子たちはその形でイエズス様を霊的な糧として受けました。

 その時イエズス様がパンとぶどう酒を別々にご自分の御体と御血に変化なさったのは、次の日、十字架上で亡くなられる時に、人々の罪を償うために御血をお流しになることを示すためでした。ですから弟子たちに杯をお渡しになった時、「これは・・・多くの人に罪のゆるしを得させるために流される、契約の血である」とおっしゃいました。つまりイエズス様がパンとぶどう酒をご自分の御体と御血に変化なさったのは、ご自分を霊的な糧として与えるだけではなく、ご自分の十字架上の犠牲の印を弟子たちに与えるためでした。

 また、イエズス様は、その時集まっている弟子たちに「わたしを記念するためにこれを行ないなさい」とおっしゃって、彼らに同じことを行なう権限をお与えになりました。カトリック教会においてその権限は、その時の弟子たちから各世代の司祭たちに伝えられ、今でも、ミサ聖祭が捧げられる時、司祭と信者たちはイエズス様の十字架上の犠牲にあずかりながら、パンとぶどう酒の形でイエズス様を、霊的な糧として受けるのです。これをご聖体の秘跡と言います。

(つづく)