第90課 ぶどう園の主人(マタイ 20・1~16)

 イエズス様は金持の青年とお話しになった後、弟子たちに大きなぶどう園を持っている主人についてのたとえ話を述べられました。

 その主人はぶどう園で働く人たちを朝早く雇って、一人ひとりに1日1デナリという賃金を払うことを約束しました。それから主人はその日何回も市場に行って、仕事を持っていない人々を見つけては「あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払おう」と言いました。

 夕方になってその主人は最後に雇った人から順番に、一人ひとりに1デナリを払いました。朝早くから働いた人たちは、遅くから仕事を始めた人たちが自分と同じ賃金をもらったことに怒って、ぶどう園の主人に文句を言いました。しかし主人は「友よ、わたしはあなたに何も不正なことはしていない。あなたはわたしと1デナリの約束をしたではないか。・・・この最後の人にも、あなたと同じように支払いたいのだ。わたしの気前のよさを、あなたはねたむのか」と言いました。

 このたとえ話によってイエズス様は、神様の寛大さと、嫉妬心の醜さをお教えになりました。たとえ話の主人が朝早くから働いた人たちに約束通りの賃金を払ったように、神様は私たちのすべての努力に十分な報いを与えてくださいます。しかし、ぶどう園の主人が後の人たちに対してしたように、神様の寛大な心をもって私たちが努力した以上の恵みを与えてくださる時が多いのです。神様から与えられた恵みを感謝するなら皆しあわせになるはずですが、自分を他人と比較して嫉妬心をおこすと、たちまち不幸になります。

 朝早く雇われた人々はその時、今日は仕事があって十分食べることができると安心して喜んだでしょうが、夕方になって後の人たちに嫉妬心をおこして、その喜びを失ってしまいました。嫉妬心はこのように人を不幸にし、人生を暗くするものです。

(つづく)