第86課 放蕩息子のたとえ話(ルカ 15・11~32)

 イエズス様が、ファリサイ派の人の家を出られると、大勢の人々が集まって来ましたので彼らに教え始められました。そして、その時、放蕩息子についてのたとえ話をされました。

 ある金持ちに2人の息子がおり、ある時、弟の方が父親に、「お父さん、わたしのもらうべき財産の分け前をください」と頼んで、その財産を分けてもらい、遠い国へ出かけていきました。

 その国で、青年は遊び暮らしてすぐに財産を使い果たしてしまいました。ちょうどその時、その国に大ききんが起こり、青年は食べる物にも困っていました。そこで、1人の地主の雇い人になり、豚の世話をするようになりましたが、その時、彼は考えました。

 私の父の家には、いつもおいしいものを食べている雇い人がたくさんいるが、私はいつもここで飢え苦しんでいる。・・・そう思った青年は家へ帰り、「お父さん、わたしは天に対してもあなたに対しても罪を犯しました。もうあなたの子と呼ばれる資格はありません。どうかあなたの雇い人の1人にしてください」と言いました。

 すると父親は大変喜び、しもべたちに「急いで、いちばん良い着物を出して、この子に着せなさい。手には指輪をはめ、足にははき物をはかせなさい。それから、ふとらせた子牛を引き出してほふりなさい。食事をして喜び合おう。この子は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから」と言いました。

 私たちが罪を犯す時、放蕩息子のように神様から精神的に離れますが、このたとえ話のお父さんのように、神様は私たちの帰りを待ってくださっています。自分の罪を認め、そのゆるしを願うならば、神様は喜んで私たちを歓迎し、大いに祝福してくださるのです。

 イエズス様は、このたとえ話によって、神様がそのような慈悲深いお父様であることを教えられたのです。

(つづく)