第81課 忠実なしもべと不忠実なしもべ(ルカ 12・35~48)

 イエズス様は貪欲を避けるように弟子たちに注意なさってから、いつも人生の終りの準備をしているようにお勧めになりました。

 その時イエズス様は、この世に住んでいる人々を、主人が留守にしている家のしもべたちにたとえられました。主人がいなくても忠実に自分の務めを果たしているならば、主人が帰って来た時にそのしもべたちは大きな報いを受けますが、もし主人の帰りが遅れると思って自分の務めを怠り、食べたり飲んだり酔ったりしていると、主人は思いがけない時に帰って来てそのしもべに大きな罰を与えるであろうと、イエズス様はおっしゃいました。

 それで、このたとえ話を述べられてからイエズス様は「だから、あなたたちも用意していなさい。思わぬ時に人の子(私)は来るからである」と弟子たちにおっしゃったのです。

 イエズス様はご自分が思わぬ時においでになるとおっしゃいましたが、この言葉は二つの時を指していると思います。一つはこの世の終りです。その時イエズス様はすべての人々を集めて、忠実で正しい人々を永遠の幸せへお招きになり、一方、不忠実で悪い人々を永遠の苦しみの中におとされます。これを公審判といいます。

 もう一つの時は、私たち一人ひとりが死ぬ時です。その時には個人的にイエズス様に裁かれ、一人ずつ自分が送ったよい生活の報い、あるいは悪い生活の罰を受けます。これを私審判といいます。

 私たち一人ひとりいつ死ぬのか、また、この世がいつ終るのかわからないので、いつでも審判を受けられるように準備をしなければならないとイエズス様はおっしゃったのです。

 「主人が真夜中や、夜明けごろに帰って来ても、・・・(忠実に)務めを果たしているのを見られるしもべは幸いである」とイエズス様はおっしゃいました。

(つづく)