第80課 貪 欲(ルカ 12・13~34)

 ある日、イエズス様が大勢の群衆にお囲まれになった時、その中の一人が「先生、遺産をわたしにも分けるように、兄弟に命じてください」と願いました。

 イエズス様はその願いをおことわりになりましたが、それをきっかけに貪欲についてお話しになりました。「注意して、あらゆる貪欲から身を守りなさい。人の命は、持っている財産の高によるものではないのだから」とイエズス様はおっしゃったのです。

 それからイエズス様は貪欲のおろかさを強調されるために一つのたとえ話をなさいました。「ある金持がいた。畑が豊かに実ったので、その人は心の中で、『どうしようか、作物をしまっておく所もないのだが』と思いめぐらして、こう言った。『そうだ。倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産を全部しまっておこう。そして自分自身に言おう。《おまえは、長い歳月を過ごせるだけ良い物をたくさん貯えている。さあ、休んで、食べたり飲んだりして楽しめ》』。しかし、神はその人に、『愚か者、今夜、おまえの命は取りあげられる。そうしたら、おまえが貯えた物は、いったいだれのものになるのか』と仰せになった。自分のために宝を貯えても、神の前に宝を貯えない者は、このような者である」

 イエズス様のみ教えによりますと、自分のためだけに財産を貯えても、いつかそれを全部失ってしまいますが、神様のみ前に貯えた宝は永遠に残ります。それでは神様のみ前にどのようにして、宝を貯えるのかと言いますと、イエズス様があとで説明なさったように、自分の財産を人々の為に役立てることによってのみ神のみ前に宝を貯えることができるのです。

 ですから、あとでイエズス様は「あなたたちの持ち物を売って、施しをしなさい。自分のために、古びることのない財布を作り、また尽きることのない宝を天に積みなさい。そこには盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。あなたたちの宝のある所に、あなたたちの心もあるからである」とおっしゃったのです。

(つづく)