第64課 人を汚すもの(マタイ 15・1~20)

 或る日、ファリサイ派の人たちがイエズス様に近づいて、「なぜあなたの弟子たちは、昔の人の言い伝えを破るのですか。彼らは食事の前に手を洗いません」と言いました。イエズス様の弟子たちの手がきたないというのではなく、彼らがファリサイ派の人たちが作った規則を守っていないということに文句を言ったのです。

 イエズス様はファリサイ派の人たちの質問に対して、逆に次のような質問をなさいました。「なぜあなたがたは、自分たちの言い伝えのために、神のおきてを破るのか」とお聞きになったのです。ファリサイ派の人たちは、自分たちが作った規則を神様から与えられたおきてよりも大事にし、時として、その規則を守るために神様のおきてを無視するようなことがありましたので、彼らは偽善者になっているとイエズス様は主張なさいました。

 引き続いてイエズス様は、心の清さについて話され、霊的な意味で人を汚すものはなんであるかを説明なさいました。

 「聞いて悟りなさい。口に入るものは人を汚さない。口から出るものこそ人を汚すのである。・・・口に入るものは皆腹を通って、かわやに落ちることがわからないのか。しかし、口から出るものは心から出てくるもので、これが人を汚すのである。悪い考えや、殺人、姦通、姦淫、盗み、偽証、そしりなどは、心から出てくる。これらこそ人を汚すものである。しかし、手を洗わずに食べることは人を汚さない」とイエズス様はおっしゃいました。

 できるだけ体もきれいにしておかなければなりませんが、イエズス様がおっしゃったように、きれいな心を保つことは、それよりももっと大事なことであります。

(つづく)