第63課 命のパン(ヨハネ 6・22~71)

 イエズス様が水の上を歩かれ、奇跡を行なわれた翌日、イエズス様がおふやしになった食べ物を食べた人々の中の幾人かは、舟に乗ってイエズス様を捜しに行き、カファルナウムの会堂で見つけました。イエズス様は彼らを御覧になって、「あなたたちがわたしを捜し求めるのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからである。なくなってしまう食べ物のためではなく、いつまでもなくならずに、永遠の命に至らせる食べ物のために働きなさい」とおっしゃいました。

 彼らが「神の業を行なうには、何をすればよいのですか」と聞きますと、イエズス様は、「神が遣わされた者(ご自分)を信じること、これが神の業である」とお答えになりました。

 この話を聞いた人たちは、イエズス様に、信じるために何かのしるしを見せてくださるよう求めました。彼らは、イスラエル人がモーセの指導のもとにエジプトを出て荒れ野に住んでいた時、天からマンナという食べ物が落ちてきたことがあったと言い、そのようなしるしに対してイエズス様はどのようなしるしをお見せになるのかと尋ねました。イエズス様は「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は、決して飢えることがなく、わたしを信じる者は、もはや決して渇くことがない。・・・あなたたちの先祖は、荒れ野でマンナを食べたが、死んだ。しかし・・・これを食べる者は死ぬことがない。わたしは天から降って来た<生きるパン>である。このパンを食べる人は永遠に生きる」とおっしゃいました。

 その話を聞いた人々は驚きましたが、イエズス様のそのあとの話を聞いて益々びっくりしました。イエズス様は「わたしが与えるパンは、この世に命を与えるためのわたしの肉である」とおっしゃいました。それを聞いた人々は「この人は、どうして自分の肉をわたしたちに食べさせることができようか」と激しく議論し始めました。

 するとイエズス様は引き続いて、「人の子(ご自分)の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む人は永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。わたしの肉は真の食べ物、わたしの血は真の飲み物だからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む人は、わたしの内に留まり、わたしもその人の内に留まる」とおっしゃいました。

 会堂に集まっている人々のうちの或る人は、「これはとんでもない話だ。とても聞いていられない」と言って、イエズス様に背を向けて去って行きました。

 イエズス様は12人の弟子たちに「まさか、あなたたちまで離れるつもりではあるまい」とお尋ねになりましたが、ペトロは「主よ、わたしたちはだれのもとに行けばよいのでしょう。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。わたしたちは、あなたが神の聖なる方であることを信じ、また知っています」と答えました。

 その時、12人の弟子たちにも、イエズス様の話の意味がよくわかりませんでしたが、1年ほど後の最後の晩さんでイエズス様が御聖体の秘跡をお定めになった時、初めてその意味がわかりました。その時イエズス様がパンとぶどう酒の外観のもとに、つまり、パンとぶどう酒という形をとって、ご自分を霊的な糧として彼らにお与えになったからです。

(つづく)