第53課 種まきのたとえ話(ルカ 8・4~8、11~15)

 ある日、イエズス様がガリラヤ湖のほとりにおいでになった時、大勢の群衆が集まって来ました。イエズス様は舟に乗られて、岸辺に集まっている人々にたとえ話をお話しになりました。イエズス様が初めに述べられたのは、有名な種まきのたとえ話でした。聖書には次のように書かれています。

 「種をまく人が種まきに出て行った。まくときに、ある種は道ばたに落ちた。踏みつけられ、空の鳥がそれをついばんでしまった。また、ある種は岩の上に落ちた。はえ育ったが、湿り気がないので、枯れてしまった。ある種はいばらの中に落ちた。いばらもいっしょに伸びて、これを覆いふさいでしまった。ある種は良い土に落ちた。そして、はえ育って、100倍の実を結んだ」

 又、そのあとで、イエズス様はこのたとえ話の意味を弟子たちに次のように説明なさいました。「種は神のことばである。道ばたのものとは、一応はみことばを聞いた人々のことである。しかし、悪魔が来て、その人々が信じて救われるということのないように、彼らの心からみことばを奪い去る。岩の上のものとは、みことばを聞いて喜んで受け入れるが、根がないので、しばらくは信じても、試みに遭うと、離れ去ってしまう人々のことである。いばらの中に落ちた種の場合は、次のような人々のことである。彼らはみことばを聞いても、日を過ごすうちに、生活の思い煩いや富や楽しみに覆いふさがれて、実が熟するまでにいたらない。良い土の中の種の場合は、正しい、良い心をもってみことばを聞き、これを固く保ち、辛抱して実を結ぶ人々のことである」

 このたとえ話を私たち自身にあてはめるならば、私たちはみことばを聞き、これを保ち辛抱して実を結ぶものであると言うことができるでしょうか。

(つづく)