第43課 施 し(マタイ 6・1)

 イエズス様は山上の説教で、弟子たちの使命についてお話しになった時、弟子たちはよい行いによって世の中を照らすべきであるとおっしゃいました。

 そのあとでイエズス様は、よい行いをする時には謙遜な心を持たなければならないと強調なさいました。つまり、傲慢な心によって、自分の名誉のためや、人々に誉められるためにするよい行いは、偽善になり、その精神的な価値もなくなると教えられました。

 その一つの例として、どういうふうに施しをするべきかを説明なさいました。「あなたがたは、人々の前で自分のよい行いを見せびらかさないように気をつけなさい。…施しをするときには、偽善者たちが人々からほめられるために会堂や通りでするように、自分の前でラッパを吹きならしてはならない。…彼らはすでにその報いを受けているのである。あなたが施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。これは、あなたの施しを隠しておくためである。そうすれば、隠れたことをごらんになるあなたの父は、報いてくださるであろう」

 私たちは何をする時でも、まず第一に自分の利益を考える傾向があります。人を助けるための施しをする場合でも、相手のことよりも自分のことを考えてする時があります。つまり、自分がやっているよいことを人々に認めてもらって、誉められ、感謝されたいからするのです。そうでなければ損をしたような感じがするからです。

 しかし、イエズス様は正反対のことを教えられ、神様だけご存じの善行が一番尊いものだとおっしゃいました。それは本当の愛の行いだからです。

(つづく)