第39課 義のために迫害される人は幸いである、
       天の国はその人のものだからである。(マタイ 5・10)

 今迄、イエズス様が山上の説教で教えられた7つの幸せの基について話してきました。「自分の貧しさを知る人」、「罪を悲しむ人」、「柔和な人」、「義に飢えかわく人」、「あわれみ深い人」、「心の清い人」、「平和をもたらす人」・・このような人たちは幸いであるとイエズス様はおっしゃいました。前に説明しましたように、このような人たちは神様のみ旨にかなうように、罪を避けて愛に満ちた正しい生活を送り、神様に結ばれているからです。

 しかし、時には、正しい生活を送るように努める人は迫害されます。正しい生活を送りたいと思う人は、周りの人々がなにか悪いことをしている時、それに加わろうとしませんし、場合によっては、その悪い行動に反対しなければなりませんから、その人たちは怒ります。また、正しい生活を送っている人に対して、ある人たちは嫉妬心をおこして、その人をいじめます。

 イエズス様はご自分でそのような迫害を経験なさいました。イエズス様はなにも悪いことをなさいませんでしたが、公の生活の初めからファリサイ派の人たちにいじめられ、最後には十字架につけられて殺されました。そして、弟子たちがご自分のみ教えに従って生活すれば同じ迫害を受けることを、イエズス様はご存じでしたので、8番目の幸せの基として「義のために迫害される人は幸いである、天の国はその人のものだからである」とおっしゃいました。

 悪いことをした時に罰を受けるのは当然ですが、よいことをしたのにひどい目にあうのは苦しいことです。

 しかし、その時よいことをしたために苦しめられているのですから、その苦しみを甘んじて耐え忍べば、その人は、天国で大きな報いを受けると教えられ「義のために迫害される人は幸いである」と、イエズス様はおっしゃったのです。

(つづく)