第38課 平和をもたらす人は幸いである、
       その人は神の子と呼ばれるであろう(マタイ 5・9)

 字引きでは、「平和」は「おだやかで変わりのないこと」と説明されています。しかし、イエズス様がおっしゃった「平和」は、もっと深くて広い意味があると思います。「平和」を「おだやかで変わりのないこと」と定義しますと、死んだものの中にも平和があると言わなければなりませんが、イエズス様がおっしゃった「平和」は、生き生きしているものです。そのような「平和」は、人々がお互いに愛し合い、助け合っているところにのみ存在します。

 戦争がない時は平和であると思われていますが、必ずしもそうではないと思います。二つの国が武器で戦っていなくても、別な形で対立している時、冷たい戦争をしていると言われます。同じように、一つの国の中でも、職場や学校、あるいは家庭において、人々がわがままと、憎しみの気持ちをもって心の中で対立し合っているならば、争いがなくても、そこでは冷たい戦争がおこっているのですから本当の平和であるとはいえないと思います。

 本当の平和は人の心から生じるものです。イエズス様がおっしゃった「平和をもたらす人」は、心から人々を愛し、愛を示すことによって周りの人々に幸せを広めることです。つまり「平和をもたらす」ことと、幸せを広めることは同じものです。

 幸せを広めることによって「平和をもたらす人は幸いであり、その人は神の子と呼ばれる」とイエズス様はおっしゃいました。そのような人は、すべての人々を兄弟として愛しますから神の子と呼ばれる資格があるのです。

(つづく)