第33課 悲しむ人は幸いである、
       その人は慰められるであろう(マタイ 5・4)

 悲しみはいやなものですから、普通には、悲しんでいる人が幸せであるとは考えられません。しかし、イエズス様がおっしゃった「悲しむ人」というのは罪を犯したことを悲しんでいる人のことを意味していると思います。

 前に言いましたように、「心の貧しい人」はすべてのわがままを捨て、神様のみ旨にかなうことだけを求めていますので、神様と結ばれた幸せな人であります。しかし、罪を犯すことは神様のみ旨にそむくことですから、当然のようにその人たちは悲しみます。しかし、罪を犯したことを悲しむことは罪を忌み嫌っていることを証明します。そのため、罪を忌み嫌うことによって彼らの罪はゆるされ、彼らはもう一度神様と結ばれることができます。その意味で、その人たちは慰められて幸せになるのです。

 罪を犯しても平気でその罪を悲しまない人は、反対に不幸であると言わなければならないと思います。楽な、豊かな生活を送って、たくさんの快楽を楽しむことができても、神様から離れていては、心の中に本当の幸福を経験することはできないのです。

 そこで、イエズス様は、たとえ罪を犯しても罪を犯したことを悲しむ人は慰められて幸せであるとお教えになったのであります。

(つづく)