第32課 自分の貧しさを知る人は幸いである、
       天の国はその人のものだからである(マタイ 5・3)

 「真福八端」の一番初めは、「自分の貧しさを知る人は幸いである」と書かれています。この日本語は直訳ではなく、文字通りイエズス様のみ言葉を訳すと、「心の貧しい人は幸いである」となります。しかし、聖書の翻訳者たちはイエズス様のみ言葉の意味を説明するために、「自分の貧しさを知る人は幸いである」と訳しました。また、別な聖書には、「神により頼む人は幸いだ」と書かれています。

 確かに、この二つの日本語の意味はイエズス様のみ言葉に含まれていると思います。イエズス様がおっしゃった「心の貧しい人」は、傲慢を捨てて謙遜な人のことです。このような人は、自分の貧しさ、自分の弱さを認めて、神様の御助けを求めます。そして神様の御助けを受けて、精神的に強くなりますから、そのような人は幸せなのです。

 また、「心の貧しい人」はすべてのわがままを捨てるので欲張りではありませんし、そのような人がいつも望んでいることは、ただ一つだけであります。それは神様のみ旨にかなうことです。いつも神様のみ旨にかなうように努めることによって、その人は精神的に神様と結ばれます。そして、人生のすべてを神様に任せ、どんなことが起こっても絶望しないで、心の平安を保ちます。確かにこのようなことの出来る人は、幸せだと思います。

 イエズス様がおっしゃったように、天の国はそのような人のものであります。この意味での「心の貧しい人」は、死んでから天国へ入れるだけでなく、今の人生においても天国の幸福を経験し始めているのであります。

(つづく)