第32課 第4、5戒

「父親を尊ぶ人は、長い寿命に恵まれ、
母親を喜ばせる人は、主に服従する」
(集会の書3の6)

 第4戒「なんじ、父母を敬うべし」

 このおきては直接には子供の親に対する義務を教えるものですが、そのうえ目下の長上に対する義務、また、親や長上の子供や目下に対する責任をも教えています。

 子供が親を敬うのは、親に恩を受けているというだけでなく、親は神の代理者だからです。つまり、神が両親を通じて子供に命を与え、また親に子供を育てる責任をおまかせになるからです。このおきての教えのとおり、子供は神を愛する心から両親を愛し、敬い、またその正しい命令には従順に従わなければならないのです。

 もちろんおとなになれば、自分の生活を立てる資格があるので、親の命令どおりに生活する義務はありませんが、その場合にも、親を愛し敬い、その忠告をよくきかなければ第4戒にそむくことになります。また、両親のたすかりを願って、親が生きている間も、なくなってからもそのために祈らねばなりません。

 次に、長上は社会に対する責任を果たすことができるように、神からその権利を与えられており、親と同じように目下に対して神の代理者なのであります。従って、神に対する信心に基づいて、生徒は先生を、雇人は雇主を、国民は国家の指導者を敬い、忠実にその正しい指導に従わなければなりません。

 一方、神の代理者である親や長上は、子供や目下の者に対して重い責任があります。つまり、両親は子供を神の子と考え、神のために子供を正しく立派に育てるのでなければ、親として最もたいせつな務めを怠ることになります。また、長上はすべて、親としての愛をもって目下の者を指導し、自分の財産や名誉を守ることよりも、まず目下の者の幸福とたすかりとを考えなければなりません。

 要するに、カトリックの教えに従って、家庭をはじめ、人間のどんな社会生活においても、長上と目下とは対立したり反対しあうのではなく、理解と愛と忠実を旨として互いに協力し、相互の幸福のために努めなければなりません。

 人々が互いに反対する時、互いに損を与えますが、協力することによって、力を合わせて平和的に進歩します。

第5戒「なんじ、殺すなかれ」

 神は、人に命を与え、それを守る権利を与えると同時に、それをたいせつにする義務をもお与えになったのですから、その生命を勝手にそこなうのは神の御旨にそむくことになります。つまり、殺人、堕胎、自殺はもちろん、みだりに怒り、人を傷つけ、またはみだりにつまずかせて罪に誘うことも罪になります。

 しかし、人が他人の生命や社会の安定をおびやかす場合には、その人は自分の生命に対する権利を失うことがあります。つまり正当防衛、社会の防衛のための正当な裁判による死刑、あるいは正しい戦争によって人の生命をそこなう場合があっても、それは罪にはなりません。

 国民は自分の国を守る権利と義務があり、場合によっては、そのために戦わなければなりません。しかし戦う必要がないように皆が努めるべきです。国と国との間の問題は戦争でなく平和的な協力によって解決すべきです。

(つづく)