第29課 幸福への法律・・・道徳律

「よい人は、善の倉であるその心からよいものを出し、悪い人は悪い倉から悪いものを出す。口は、心にあふれるものを言葉に出すからである」
キリストのみことば
 (ルカ6の45)

良心とは何ですか。
良心とは、人の行ないの善悪を判断し、善を命じ、悪を禁じ、善をほめ、悪をいましめる
神よりの声です。ですから人はみな良心に従って生活しなければなりません。

 この世にあるものはどんなものでも、特定の法則に従って、一定の行動をするようになっています。恒星や遊星は天文学の法則のとおり動いており、化学薬品は化学の法則どおり反応します。また、植物は一定の法則で成育し、動物が生きてゆくためにはその動物が本来持っている法則に従って、食べたり、眠ったり、呼吸したりしなければなりません。

 人間も同じように、健康で、幸福な生活を送ろうと思えば、その本性に従った一定の法則を守らなければならないのです。じょうぶで長生きをしようとすれば、健康を保つための法則を守らなければなりませんが、同時に、幸福で平和な生活を送るためには、幸福の法則、つまり「道徳律」と言われるものを守らなければなりません。この道徳律を犯す人があれば、その人はすぐに良心のかしゃくを感じ、その人の行ないは自分の生活にも、またほかの人の生活にもわざわいをもたらすのです。

 道徳律はもともと科学の法則と同様に国が定めるものではなく、また物質の動きを研究することによって科学の法則を知ることができるのと同じように、人間の生活を研究してみれば、この道徳律を知ることができます。

 たとえば人々が一つに結ばれた生活を送ろうとすれば、お互いにうそはつかず、ほんとうのことを話すものとして、相手を信頼することができるようでなければなりません。そこで、うそをつくことは人に害を与えるものであるという結論が出てくるのであります。

 同様に、人がお互いに他人の生活や財産を尊重しなければ、社会の平和と幸福を維持することができないということを知っています。従って、だれでも他人のからだや財産に何らかの害を与えるような行為は悪いものであると判断することができます。

 性に関することを考えてみれば、性欲やその能力は、子供を産んで育てるという目的のために人に与えられたものであるのは明らかなことです。そして、常識で考えてもわかるとおり、これは規律の正しい家庭においてのみ行なわれますから性を悪用したり、結婚生活以外に性を乱用するようなことは悪いことであるという結論になります。このように人生について考えると、常識によっていろいろな行ないの善悪がわかります。しかし、このような理屈を考えなくても、良心の声によって、行なうべきことと避けるべきこととを知ることができます。というのは、神は良心の声によって、私たち一人ひとりに善悪の区別を教え、悪を避けて善を行なうように、おすすめになります。

 正しい生活を送るためになによりも大切なことは、良心の声に従うことです。良心の声に反対して罪を犯す場合は、良心のかしゃくを感じて悲しくなります。しかし、良心の声に従って正しい生活を送れば、心の平安を保ち、神と一致してしあわせな生活を送ることができます。

(つづく)