第26課 告 解

イエズスは「そういいながら、かれらに息を吹きかけて“聖霊を受けなさい、あなたたちが罪をゆるす人には、その罪がゆるされ、あなたたちが罪をゆるさない人はゆるされないであろう”とおおせられた」
(ヨハネ20の22-23)

告解とは何ですか。
告解とは、洗礼以後に犯した罪を教会の司祭をとおしてゆるす秘跡です。

 人は洗礼を受けたとき、それまでのすべての罪とその罰をゆるされますが、洗礼は一度しか受けられませんから、洗礼後の罪をゆるすためにキリストは別の方法をお定めになりました。これが告解の秘跡です。

 イエズス・キリストは、ご復活なさったのち、使徒たちに「あなたたちが罪をゆるす人には、その罪がゆるされるであろう」(ヨハネ20の23)とおっしゃって、彼らとその跡継ぎの司教や司祭たちに罪をゆるす権利をお与えになり、この秘跡をお定めになったのであります。

 カトリック信者は告解の秘跡を受けるとき、まず、前の告解後に(最初の告解の場合は洗礼ののちに)どんな罪を犯したかを思い出すことが必要です。そして、罪を痛悔し、再び犯さないことを決心して司祭に告白します。告白後は、司祭に命じられた償いをできるだけ早く果たさなければなりません。

 この秘跡を受けるときにたいせつなことは、罪を痛悔することです。痛悔するというのは信仰に基づく動機で(超自然的理由と言います)、心から犯した罪を忌みきらうことです。この信仰に基づく動機には、神への愛とおそれによるものがあります。神を愛する心から犯した罪を悔やみ、忌みきらうことを“完全な痛悔”と言い、神への愛のためよりも罪の醜さを恥じたり、神の罰を恐れて罪を忌みきらうことを“不完全な痛悔”と言います。

 罪を完全に痛悔した場合には、告解の秘跡を受ける意志さえあれば、それを受ける前にすべての罪がゆるされ、成聖の恩恵が与えられますが、不完全な痛悔の場合には、告解の秘跡を受けるまで罪はゆるされません。

 告白するとき、司祭に正直に罪を言い表さなければならないのは言うまでもないことですが、ことに大罪は残らず告白しなければなりません。もし、大罪をわざとかくすようなことがあれば、その告白は効果のないものになるばかりでなく、その上、汚聖の大罪を犯すことになります。告白のとき、もし、大罪を忘れていても告白した罪といっしょにゆるされますが、あとで思い出したら次の告解で言いあらわさなければなりません。

 司祭は信者の告白を聞いたのち、その罪にたいする償いを決め「われ父と子と聖霊との御名によりてなんじの罪をゆるす」と言って罪をゆるします。司祭は、信者の告白に関することを、どんな場合にも絶対に人にもらすことはできません。また、もし信者が告白をもれ聞いた場合にも、人にもらしてはいけません。

 なお、大罪を犯した信者は、必ず告解の秘跡を受けなければなりませんが、小罪だけの場合には、必ずしも告解の秘跡は必要ではありません。小罪は、痛悔、ほかの秘跡、よい行ないなどによってもゆるされるからです。しかし、小罪だけの場合にも告解の秘跡を受ければ、罪がゆるされる上に特別な恩恵が与えられますから、これを受けるのはたいへんよいことです。

(つづく)