第24課 堅信・聖体

イエズスは、おおせられた、
「生命のパンは私のことだ、私に来るものはもう飢えることなく、私を信じるものも、いつまでも渇きを知らないだろう」 
(ヨハネ6の35)

堅信とは何ですか。
堅信とは、信仰を強め、それを正しく表わすために聖霊の恩恵を与える秘跡です。

 洗礼を受けた人は霊的に新たに生まれて神の子となりますが、永遠の幸福を得るためには信仰にたいするいろいろな妨げに勝ち、信仰に基づいた生活をしなければなりません。この目的を果たすうえに力となる聖霊のたまものを与えるために、イエズス・キリストは堅信の秘跡をお定めになりました。この秘跡を受ける信者は、成聖の恩恵を持ち、教理をよく学び、聖霊のたまものを祈り求めなければなりません。

 堅信の秘跡は普通、司教が授けますが、例外として司祭も授けることができます。堅信を授けるとき、司教は受ける人の上に手をおおい聖霊とそのたまものを祈り求め、聖香油で額に十字架をしるしながら「父のたまものである聖霊のしるしを受けなさい」と唱えます。

 堅信のときも代父や代母を得て、霊名として聖人の名をいただきます。

 なお、この秘跡は救いを得るのにどうしても必要なものではありませんが、たいせつな恵みであり、信仰を強め、これを正しく表わすために聖霊の恩恵を与えられる秘跡ですから、受けたほうがよいのは言うまでもありません。

聖体とは何ですか。
聖体とは、パンとぶどう酒との外観のもとに、イエズス・キリストの
御からだと御血とが実際にまします秘跡です。

 キリストは、人が洗礼を受けたのち霊的に成長するように聖体の秘跡をお定めになりました。これが定められたのは、イエズスがおなくなりになる前夜の最後の晩さんのときです。イエズスはパンをとって「これは私のからだである」と言ってでしたちに食べさせ、ぶどう酒の杯をとって「これは私の血である」と言ってでしたちにお飲ませになりました。

 み言葉のとおり、パンとぶどう酒はキリストの御からだと御血に変化しました。したがって、でしたちが受けたのは外観はパンとぶどう酒でしたが、イエズスご自身であったわけです。物質には色、味、形、においなどの外観がありますが、実体は外観とは違うもので外観のもとに存在しています。キリストのみ言葉によって、パンとぶどう酒の外観は変りませんでしたが、その実体は完全に変化されました。なお、イエズスはパンとぶどう酒を別々に変化なさいましたが、御からだと御血が分けられたのではありません。イエズスは全体的にパンとぶどう酒の外観のもとにそれぞれ完全に存在なさったのであります。

 キリストは最初でしたちに聖体をお授けになりましたが、神を信じる人は皆これが受けられるように「私の記念としてこれを行なえ」とおっしゃって、でしたちとその跡継ぎの司祭たちに聖体の秘跡を授ける権利をお与えになりました。カトリック信者はミサ聖祭の間に、霊的生命の食物として聖体を拝領します。

(つづく)