第22課 秘 跡

「私は・・・生命を、ゆたかな生命を
与えるために来た」
キリストのみことば
(ヨハネ10の10)

秘跡とは何ですか。
秘跡とは、イエズス・キリストのお定めによるものであって、
超自然の恩恵を示し、それを与える“印”です。

 人はだれでも自分の力だけで神のみ教えを信じ、おきてを守り、たすかりを得ることはできません。神の恩恵を受けてこそ、それができるのです。

 イエズス・キリストは、人が神の恩恵を受けられる方法として7つの秘跡をお定めになりました。これは、人が一生の間に出会う特定の時期に、特別な恩恵を与えるために、イエズスがお定めになった7つの儀式、つまり目に見えるしるしです。

 7つの秘跡は、洗礼、堅信、聖体、告解、病者の塗油、叙階、婚姻です。これらを通じて、キリストの功徳による成聖の恩恵が与えられますが、その上、一つ一つの秘跡にはそれぞれ目的があり、それを果たすための特別な助力の恩恵をも与えられます。

 たとえば、婚姻の秘跡はこれを受ける人に立派な幸福な結婚生活が送れるように導く特別な恩恵を与えます。また、同じように告解の秘跡は、それを受ける人が罪をさけるように導く特別な恩恵を与えます。イエズスは特別な目的のために秘跡をお定めになり、これを受ける人にその目的を果たすための恩恵をお与えになるのです。

 これらの中で、洗礼、堅信、叙階の3つの秘跡は一生に一度しか受けることができません。なぜなら、この3つは、人の霊魂に消えないしるしをつけるからです。このしるしは恩恵とは異なるもので、教会におけるいろいろな資格を意味します。すなわち、洗礼は神の子となり、キリスト信者の資格を、堅信はキリストの兵士、叙階はキリストの司祭としての資格をそれぞれ与えられます。

 人がカトリック信者になるとき、洗礼の秘跡によって成聖の恩恵とともに、あとの6つの秘跡を受ける権利が与えられます。そして、ほかの秘跡は成聖の恩恵を持っている人にはさらにそれを増します。しかし、洗礼と告解の秘跡を受ける場合に罪の痛悔がなければ、秘跡を受けても恩恵が受けられません。また、そのほかの秘跡は、成聖の恩恵なしではいくら受けてもその目的は達せられません。したがって、洗礼の秘跡を受けたのち、罪をおかして恩恵を失ったなら、堅信、聖体、婚姻、叙階、病者の塗油を受ける前に、告解の秘跡によって罪のゆるしを受け、ふたたび恩恵を得なければならないわけです。

 秘跡の効果は、これを授ける人の持つ信仰の状態や、徳の高さ低さによって変わるものではありません。これは重要なことです。なぜなら秘跡を行なうのはキリストご自身であり、それを授ける人はいわば道具にすぎないからです。何よりも一番大切なことは、秘跡を受ける人が熱心に適当な準備をして受けることです。

 なお、7つの秘跡と別に準秘跡というものがあります。これは教会によって定められたもので、教会の代願によって信者に神の恵みをもたらす聖なる”しるし”です。おもな準秘跡には、人、あるいは物、特に礼拝と信心のために使われる物(聖堂、聖画、聖像、聖水、ロザリオ、メダイ)の祝別があります。信者は敬虔に準秘跡を使うことによって神の恵みを受けることができます。

(つづく)