第20課 後の世

「私の父の家にはすみかが多いが、もしそうでなければあなたたちに知らせていただろう。 私はあなたたちのために場所を準備しにいく」
キリストのみことば
(ヨハネ14の2)

人は死んでからどうなりますか。
人は死んでから、からだは土に帰り、霊魂は神の審判を受けます。

 人が死ぬと、その霊魂は肉体から離れます。そうすると、肉体の方はすぐに腐敗してしまいますが、霊魂は物質ではないので、変化したり、腐敗したりすることがなく、従って滅びることなく生き続けます。

 そのとき霊魂は神の審判を受け、天国か地獄あるいは煉獄へ行きます。人は一人ずつこの審判を受けるのでこれを私審判といいます。

 天国は神の愛に満ちているところであり、完全な、そして永遠の幸福に満ちているところであります。この天国に入る霊魂は、完全に神を愛し、全く罪の汚れのない霊魂だけであります。

 この霊魂は「顔と顔とを合わせて」(コリント前書13の12)神を見、完全に神と一致し、また本当の愛をもってお互いに一致しますから、全然悲しみのない永遠の喜びのうちに暮らしているのであります。

 地獄は天国とは全く反対のところであります。天国は神の愛に満ちていますが、地獄は悪魔の憎しみと恨みに満ちています。

 また、天国に入る霊魂が完全に神を愛するのに反し、地獄に落ちる霊魂は、完全に神の愛から離れたものであります。

 すべての幸福は愛によって生じるものですから、全然愛のない地獄には、幸福や楽しみなどは少しもありません。地獄に入るものも幸福を望んではいるのですが、神から離され、また互いに離れているので、永遠に苦しみやさびしさや失望のうちに暮らしているのであります。

 死ぬ時に完全に神を愛している霊魂は、ただちに天国に入り、神から完全に離れているものはただちに地獄に落ちます。

 しかし、なかには、信仰と愛がありながらも、まだその愛が不完全であったり、小罪の汚れのある霊魂もあるので、そのような霊魂はそのままの状態では地獄には入りませんが天国に入ることもゆるされません。従って、その霊魂は煉獄というところへ入って、そこで苦しみによって罪の汚れをきよめられ、その後天国に入ります。

 煉獄の霊魂は積極的に自分を助けることはできませんが、私たちの祈りによってその苦しみがゆるされ、もっと早く天国に入ることができます。そのために、カトリック信者は、毎日、煉獄で苦しんでいる霊魂のために祈るのであります。

 最後にこの世が終わり、キリストのみ言葉のとおり、死者の肉体は復活し、ふたたび霊魂にあわせられて、ともに永遠の幸福あるいは永遠の苦しみに入ります。

 そのとき煉獄はなくなり、人々はみな霊魂と肉体とをもってキリストの前に並びます。そして、キリストは審判者として、善人と悪人とをおわけになり、善人を天国の幸福に導かれ、悪人を地獄の火にお落しになります。

 この最後の審判は公に行なわれるので、公審判といいます。

(つづく)