第19課 罪と罪のゆるし

「この人の罪、その多くの罪はゆるされた、多く愛したのだから」
キリストのみことば
  (ルカ7の47)

罪とは何ですか。
罪とは、悪いことと知りながら自由意志をもって神のおきてにそむくことです。

 罪とは神のおきて、言いかえれば神の御旨にそむくことです。良心の声とキリストの御教えと神の十戒と教会のおきてによって神の御旨を知ることができます。わざとその御旨に反する時、罪を犯すことになります。

 人は四つの方法、つまり思いと言葉と行いと怠りによって罪を犯すことになります。

 傲慢な心をおこしたり、心の中で人を憎んだり、楽しんで不潔なことを考えたりすることによって、思いで罪を犯します。

 嘘を言ったり、人の悪口を言ったり、人に罪を犯すように勧めたりすることによって言葉で罪を犯します。

 人を傷つけたり、殺したり、人のものを盗んだり、結婚以外に性行為をしたりすることによって、行いで罪を犯します。

 なすべきことをしないことによって、つまり、自分の義務を十分果たさないことによって、怠りで罪を犯します。

 罪には、大罪と小罪の二つがあります。大罪とは、重大な事がらについて、はっきり意識し、完全に承諾して神のおきてにそむくことです。そして、小さな事がらについて、あるいは重大な事がらであってもはっきり意識せず、あるいは完全に承諾しないで神のおきてにそむくのを小罪といいます。

 大罪は、神に対するはなはだしい忘恩と侮辱となり、成聖の恩恵を失わせ、天国のためのすべてのいさおしを奪い、地獄の終りのない罰を招きます。これに対して小罪は、成聖の恩恵は失わせませんが、神に対する愛を冷やし、徳の進歩を妨げ、この世あるいは煉獄の罰を招きます。

 人が犯す多くの罪の源となる悪欲には、高慢、物欲、色欲、ねたみ、どん食、憤怒、怠惰があり、これを“七つの罪源”といいます。

 七つの罪源のうち、高慢、ねたみ、憤怒は精神的な欲求から生じます。

 他の四つの罪源、物欲、色欲、どん食、怠惰は肉体的な欲求から生じます。

 人の欲求はすべて、神から特別な目的をもって与えられたものであり、その目的に反しないようにその欲求を満足させるならば、それによって神と一致し完徳にすすむことができます。しかし、その目的にはずれるような悪徳は、よほど注意してこれをおさえるようにしなければ、みだりに荒れ狂って、人を罪に引き入れ、霊魂をほろぼしてしまいます。

 このようにして、人は自分から神にそむいて罪を犯すことがあるものですが、神はイエズス・キリストのいさおしによって、その罪をおゆるしになります。この罪のゆるしは、自分の罪を痛悔して、キリストのお定めになった洗礼、あるいは告解の秘跡を受けることによって得られるのであります。

(つづく)