第5課 人の霊魂

「私は復活であり、生命である、私を信じる人は死んでも生きる。生きて、私を信じる人は、永久に死なない」
 キリストのみことば
(ヨハネ11の25-26)

人とはどういうものですか。
人とは、霊魂とからだとから成っているものです。

 人は霊魂とからだとを合わせたものです。この霊魂はからだの中に住み、からだは霊魂の力によって動きます。人が死ぬと霊魂はからだを離れ、からだは腐敗してしまいます。

 しかし、霊魂はからだの命の源であるばかりでなく、からだにたよらない力、知恵と意志があります。人は知恵によって、からだだけでは知ることのできない抽象的な思想を持ち、意志によって、からだでは感じられない精神的な愛を経験します。

 人は、霊魂にこの二つの霊的な能力を持っている点でほかの動物と根本的に違うのです。動物には肉体的な命があるだけですから、その行動はすべて肉体的な力によって行われます。従って、動物が死んでそのからだが腐敗してしまえば、その存在は完全に消えてしまいます。しかし人の霊魂にはからだにたよらない能力、つまり、霊的に考えたり愛したりする力があるので、人が死んで、からだが腐敗しても、その霊魂は生きながらえるのであります。

 ところで人の考えの中には二つの種類があります。一つは肉体的な考えであり、 もう一つは抽象的、つまり、精神的な考えです。

 たとえば、今、目の前に時計があるとします。自分の目でその時計を見れば、その姿、形は目を通じて脳に入り、記憶に残ります。それからは、目の前に時計がなくても時計のことを考えれば、頭の中に時計の姿がはっきりと浮かびます。しかし、時計について考えるとき、私たちは時間ということも考えます。ところが、時間は物質ではないので、時間についていくら考えても、頭の中に具体的な姿、形は何も浮かびません。こういった抽象的な思想はたくさんあります。真理、愛、命、美しさ、などの考えはみなそうであります。この抽象的な考えは、からだの器官である脳の力ではなく、人の霊魂に属する霊的な能力つまり知恵の働きなのです。

 なお、動物はただ肉体的な欲望だけで愛しますが、人はその上霊魂に属する意志の力で精神的に愛することができます。肉体的に愛するときには物質的なものを好み、そこから肉体的な楽しみを感じます。これに対して精神的に愛するときには、他人あるいは神と精神的に結ばれることを望み、そこから精神的なしあわせを感じます。

 人は自分の経験によって、精神的に考える能力と精神的に愛する能力があることがわかります。人の霊魂にはこの二つの精神的な能力、つまり、知恵と意志がありますから、霊魂そのものは精神的なものであることがわかります。そして精神的なものですから腐敗することがありません。人が死んでからだが腐敗しても、人の霊魂は生きながらえて神とともに永遠の幸せを経験することができます。

 こういった霊魂の存在を知らない人は自分をただの動物と考え、動物のように肉体的な楽しみばかりを求めるでしょうが、霊魂の存在を認める人は、神から与えられる終わりのない霊的なしあわせを望み、いつも、正しく、強く、明るい生活を送るようにつとめるのであります。

(つづく)