第4課 神の創造と進化論

「はじめに神は、天と地とをつくられた」
(創世記1の1)

天地万物の創造とはどういうことですか。
天地万物の創造とは、神が自由に“無から”天地万物をおつくり
になったことです。

 神がどういうふうに天地万物をおつくりになったかということについて、聖書には非常に簡単に、ただ、神が、それが「あれ」と言われたらそのとおりになったと書かれています。つまり神は世の中のいろんなものが存在するようにと定め、ご自分の方から存在を与え、神の無限な力によって天地万物は何もないところにできあがったのであります。こういうふうに何もないところに物をつくるのを神の創造といいます。

 科学の教えるところによると、私どもの住むこの宇宙には、始めのうちは、鉱物や、非常に原始的な生物だけが存在したのであって、その後次第に程度の進んだ植物や動物が存在するようになり、そして最後に人が現われたことになっています。
一方、旧約聖書は何千年も昔に書かれたものですが、現代の科学が主張するのと同じ順序で天地万物が創造されたと説明しています。つまり、神は不完全なものから次第に完全なものへと自然界の創造を進め、そして、最後に、ご自分と同じような精神的な命を持ち、宇宙に存在するもののうちで最もすぐれたものとして人を創造なさったのであります。

 この天地万物の創造の順序について、ある一部の人々は進化論という説を唱え、植物は鉱物から、動物は植物から、そして、人はある種の動物から進化したものだと主張しています。自然界に、そのような事実が行われているかどうかは、科学の取り扱うべき問題であり、進化論が正しいかどうかについては、カトリック教会はなにも教えていません。

 しかし、進化論者の唱える説に従って自然界や人が存在するに至った過程を説明しようとすれば、それと同時に、神の力や人の霊魂を正しく認めなければならないと、カトリック教会は教えているのであります。たとえば、鉱物が植物に進化するとか、あるいは植物が動物に進化するというようなことがあるとしても、決して偶然に行われるのではなく、神の力によって行われるのでなければならないということです。また、人がある種の動物から進化するようなことがあり得るかどうかについて考える場合には、その考えは人のからだだけに限らなければなりません。それは、人のからだは動物のからだから進化する可能性があるとしても、人の霊魂が動物から進化するのは全く不可能なことだからであります。人のからだは動物と同じ材料でできているので、からだだけは動物から進化することも考えられますが、霊魂は動物と全然違い、神と同じような霊的な命があるので、霊魂は直接に神から与えられたものと認めなければなりません。

 要するに、神は自然界を私たちの住むところとして創造され、私たちをご自分にかたどって、ご自分の子供としておつくりになりました。自分の人としての値うちを理解するために、この事実をたびたび思い出すのは私たちにとって非常に大切なことだと思います。

(つづく)