第1課 永遠なる幸福

「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、
人の心にまだ思い浮かばず、神がご自分を愛する人々のために準備されたことを」
(コリント前書2の9)

神が人をおつくりになったのは何のためですか。
神が人をおつくりになったのは、ご自分の光栄と愛とを表わすため、また、
人が神を知り、神を愛し、神に仕えて、永遠の幸福を得るためです。

 カトリックの教えは、イエズス キリストの福音、つまり人類に対する神の愛と恵とを告げ、そして神に対する人間の道を説いています。

 自分の一生を全うし、平和な世界に幸福な家庭と社会とを築くことはだれでも願うことですが、それは、神にたいする人間の道を知らなければ本当の意味で実現することができません。言葉をかえて言えば、意義のある生活を送るためには、その目的を知ることが一番たいせつなのです。

 不幸にも、人生の目的をはっきり自覚していない人が多いようですが、実際にはだれもがその目的に向かって行動しているのです。つまり人生の目的は幸 福を感じることであり、幸福を求めずに生活している人はひとりもいないはずです。

 食べること、金をもうけること、友だちといっしょにいること、本を読むこと、映画を見ること、結婚すること、そのほかどんなことでも、自分の意思で  するときは、すべて、何かの楽しみか、しあわせかとにかく幸福を感じたいと思うからこそするのです。しかし、だれもが毎日朝から晩まで幸福を感じるようにつとめているといっても、皆がその人生の目的を果たせるとは決していえません。それは、この世に生きている間に感じる幸福はすべて不完全で限りがあるのに反して、人の心の底にある幸福への望みは限りのないものだからです。

 人は、いろんな方法で、いろんな物によって幸福を求めますが、世間的なものだけで完全に満足する人はひとりもありません。たとえば、金に不自由のない人は好きなものを何でも買うことができますが、金持ちだからといって、心配もなく、苦しみもなく、完全に、満足して、何ひとつ不満はないという人はこの世にひとりもいないでしょう。金で買えるのは物質ばかりで、たとえ肉体的な楽しみを与えることはできても、人の心が求める精神的なしあわせを与える力はありません。それに、金や世間的なものによってどんなにすばらしい楽しみを感じることができても、それはただ一時的なものであり、時間がたてば必ず消えてしまいます。

 人の心を満足させる幸福は、金で買うものからは生まれません。人の心が求めている、限りのない、終りのない幸福は、限りない御者、神と一致することによって生まれます。

 神と一致するために、神を知り、神を愛し、神に仕えなければなりません。
キリストのみ言葉を信じることによって神を天地万物の創造主、私たちの父として知ることができます。この信仰にもとずいて神を愛し、神に対する愛のために正しい生活を送る人は、精神的に神と一致します。そして、神と一致することによってこの世の中で精神的にしあわせを感じ、死んでから天国の永遠の幸福に入ります。この目的のために神は私たちをおつくりになりました。信仰生活を送るのはこの目的を果たすためであります。